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自分は他の誰でもなく自分である――目に見えない分類について。

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この世界は、目に見えない分類がたくさんあります。

 

ギフテッド、などはその最たるものではないでしょうか。

 

何かがずば抜けて出来る人たち。

 

その反面、びっくりするようなことが、同じようにできない人たち。

 

日本はそういった人たちに対する対策が出来ていない、という話をするつもりではありません。

 

私が思うのは、目に見えない分類に憧れて仕方がない人のことです。

 

天才、を筆頭として、ギフテッド、タレンテッド、ツインソウル、ツインレイ、金や紫のオーラ、インディゴチルドレン、エンパス、超能力者、霊能力者、サヴァン症候群ナルコレプシーetc…。

 

などなど、挙げていけばきりがありません。

 

これらは、皆、どこか「特別」な人たちです。

 

だからこそ、こういった名前がついている、とも言えます。

 

「『特別』な人たちはその人なりの苦労があるのだから憧れるのは止めなさい」と

いう訳ではありません。

 

憧れて憧れて、色々なものに時間やお金を注ぎ込み、

 

それでも自分はどの『特別』でもないのだ、と知ったとき、

 

もしくはやっとの思いで何かしらの『特別』の証を手に入れたとき、

 

「それで、あなたはどうしたいのか」ということが、大切なのではないでしょうか。

 

少しスピリチュアルの世界に踏み込むと、特別な人で溢れかえっています。

 

凄いな、この人は私とは違うんだ。

 

もしくは、生き辛くて仕方が無くて、助けを求めるように精神の世界へ入ると、

様々な“症例”が名を連ねています。

 

あぁ、この人は私と同じだ。私も、だから辛かったのだ。

 

「あこがれる」は「あくがる」……つまり、「精神が体を離れて彷徨うこと」を元の意味としています。

 

憧れること自体は良いことです。

 

それは尊敬であり、上昇志向であり、自分を高めようと鼓舞するものです。

 

しかし、「特別である」ことを、「自分が上昇しない理由」として、その道具として、使ってしまうのは、どうでしょう。

 

自分の“霊的な成長”のためにも、もちろん他人からの印象としても、

 

あまりよろしくないのではないでしょうか。

 

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あなたに、どのような称号がつこうが、あなたはあなたです。

 

それは時に空恐ろしく感じられますが、たいていの場合、とてつもなく素晴らしいものです。

 

私が嘗て「占い師」の方々から言われたことをすべて信じ、

 

また目に見えない分類で、自分がそうだと感じていることを全て表記するなら、

 

私は「クリスタルチルドレンでエンパスで、HSPでシナスタジアで、絶対音感を持っている」宇野翠、ということになります。

 

それは良くも悪くも「そうか」。で済ますことが出来るものです。

 

時に周囲の人の手を借りることもありますし、他の人とは感じ方が違うこともあります。

 

時に他の人をほっとさせたり、びっくりさせたりすることもあるかもしれません。

 

でも、それは皆、一緒ではないでしょうか。

 

私は特別「だから」、を、何かが起こる前に、至って平和な人たちに、

 

振り回す必要は無いのではないか、と、思っています。

 

 

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どれだけ名前を付けたって、最終的には

 

「私とは何か?」

 

という、大きな大きな問いに、帰ってくるのですから。

 

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。