舞台に上がる人の陰ーーそこに居る人にしか見えないもの。

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趣味の関係で、もう7年ほど演劇に関わっているのですが、

 

演劇に限らず、舞台に上がる人って、何かしら陰があるような気がします。

 

それは、この拍手を浴びるまでに積み重ねた苦渋の数々だったり、

 

いつライバルに蹴落とされるかわからない不安の日々だったり、

 

夢を語り合った仲間を差し置いて自分だけライトを浴びる後ろ暗さだったり、

 

無茶な要求を突き付けられた理不尽の記憶だったり、と

 

様々なものが作り上げているのだろう、勝手に思っています。

 

(もちろん、私の思い違いである可能性も十分あります。)

 

そして、それを経て、笑顔で舞台に立つ人たちの芯の強さと美しさに、

 

私は毎度驚嘆するのです。

 

心が折れそうな日々を、負けてたまるかと歯を食いしばった気の強さや、

 

何でもないように見せる、仮面を被る技術や、

 

見に来てくれるお客さんには自分の事情など関係ないのだと言ってのける舞台根性や、

 

一切ダメージを受けない愛すべき天然の鈍感力に、

 

尊敬の念を抱きます。

 

これは、人前に出る上では、当然の心得なのかもしれません。

 

しかし、忍んで余りあるその背景を、門外漢ながらに察すると、

 

「どうして、あの人は、あんなに綺麗に笑えるのだろう」と

 

疑問と共に恐怖を抱くことすらあります。

 

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舞台に携わる人の話を聞いていると、立場によって、人によって、

 

本当に言っていることが全く違います。

 

それは、本当に見えていることが違うからだと、私は思っています。

 

役者には、舞台の上からの(役としての)目線が、

 

監督には、すべてを束ねるものとしての目線が、

 

メイクさんには、相応しく着飾り演出したい者としての目線が。

 

それに加えて、個人の感知範囲や、伝える能力や方向性が異なってきます。

 

そうして、一つの舞台が出来上がりますし、

 

私はそれを見て「驚嘆する者」としての目線を持っています。

 

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立場が違う。育ちが違う。考え方が違う。

 

それは時に、決定的な亀裂を私たちにもたらしますが、

 

それと同時に、相手への深い理解ももたらしてくれます。

 

「アイドルになりたい女の子」は、「あのアイドル」の目線を共有することは出来ませんし、心の内は推察することしかできませんが、

 

同じように「アイドルになりたい別の女の子」と、同じ目線で話すことが出来ます。

 

私が「舞台役者」になることは出来ませんが、

 

「舞台役者を見て感激する人」と同じ土俵で感想を分かち合うことはできます。

 

それは、「舞台役者」には、もしかしたら出来ないことかもしれません。

 

 

 

 

どんな記憶でも、それを分かちあえる、教訓として残すことが出来るというのは

 

素晴らしいことではないでしょうか。

 

目線が全く異なる人でも、そういう見方があるのか!と感嘆して、

 

ときに面白がり、ときに取り入れることができたら、と

 

私はそう願ってやまないのです。