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引き寄せの法則?――妄想力と物欲センサーの力。

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私が初めて「引き寄せの法則」という名前を聞いたのは、学校の先生からでした。

 

しかも高校二年生のときの英語の男性の先生からです。

 

そのときの文脈は、受験は団体戦だから~という流れだったのですが、

 

個人的には「この現象に名前がついていたのか!」という衝撃が大きかったです。

 

そして成人してからは「それがビジネスになる世界があるのか!」という衝撃もありました。

 

引き寄せの法則」をものすごく極端にギュッと纏めると、

 

強く願ったことは叶う/似た者同士は惹かれあう の二点ではないでしょうか。

 

そのために、願い事を完了形でノートに書くとか、憧れに近づくために波動を上げるとか、

 

様々な試みがなされているのでは、というぼんやりした印象を持っています。

 

さて。

 

私の人生を振り返ってみると、「これって引き寄せでは?」と思えるような体験がいくつかあります。

 

それは、大半が「引き寄せの法則」という名前を知る以前の出来事でした。

 

例えば、「好きな人にバッタリ会いたい」とか。

 

例えば、「あの学校に受かりたい」とか。

 

例えば、「新しい環境で友達がたくさん欲しい」とか。

 

ノートに未来日記を書いていたわけではありません。

 

私の場合は、ただ、想像……いえ、妄想をしていました。

 

「好きな人に会いたい」なら、もう一日中、それはそれは事細かに、

 

歩いていれば電柱にぶつかりそうなぐらい夢中に、うっかりニヤけてしまう程に、

 

ずーーっと考えていたのです。

 

そうしたら、会えた。

 

本来なら彼は居るはずのない場所であるにも関わらず。

 

(会っただけです。「会いたい」とだけ願っていたので当然ですが)

 

つまり、「引き寄せの法則」ってそういうことなのではないかな、と思うのです。

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「私は“引き寄せの法則”を実践している!」⇒「だから叶う!」なんて考えは無く、

 

ただただ「ああなったらこうしよう」「もしかしてこういう風にもなったりして」

 

と妄想を膨らませ、うふふ、と一人で笑ってしまうような純粋な妄想。

 

そのほかのこまごましたものは、すべてこの完璧で詳細でリアルな妄想のための補助的手段に過ぎないのではないか。

 

なんて、考えてみるのです。

 

だからこそ、真面目にやってはいけないし、大真面目に取り組むべきだと思います。

 

「引き寄せをしている“私”」というメタ認知のカメラを切り、

 

「願いが叶った瞬間のただ中に居る」その姿を、心情を、景色を、

 

“考えよう”とすら考えずに、

 

「気が付けば(=我に返る=『考えることについて考えることが出来た』メタ認知ですね)考えていた」ような、

 

息をするように妄想を繰り広げている。

 

そういう状況を作りやすくするための手段をマニュアル化したものが、

 

引き寄せの法則」なのではないかな、と、私は思っています。

 

「あれが欲しい」という物欲センサーを切り、

 

「手に入れた瞬間」に思いを馳せ続ける妄想力を強化する。

 

それは、一種の強烈なシュミレーションです。

 

繰り返し繰り返しシュミレーションすることによって、

 

棚からぼた餅が落ちてくる可能性を上げる、或いは

 

棚から落ちてきたもち米を即座にぼた餅にする方法を知る(エネルギーを得る)(事が出来る)

 

のだと思います。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。