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依存することーー占いについて。

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人は何かに依存します。

 

女性は、特に依存しやすい脳の構造になっているようです。

 

お酒、ギャンブル、買い物、ゲーム、薬物、ネット、窃盗などの違法行為、などなど。

 

そして、時に占いも、その中に入ることがあります。

 

個人的には、「(ネガティブな意味での)依存」は、「当該のもの・ことをしている最中や直後は心地よくても、素面に戻ったときに、当該のもの・ことをした自分に対して負の感情を覚えるもの」だと思っています。

 

そしてその負の感情を振り払うために、また当該の行為を行う……という。

 

こうした依存・中毒の対象になるものは、人間の脳の快楽物質を一気に放出する要素を持っているものであることが多いそうです。

 

要は、射幸心が満たされる、ということですね。

 

そして、病的に(社会生活を圧迫するほど、自分の心身の健康を害するほど)

 

何かに依存する人と言うのは、「それ」以外に同等の快楽を味わえる楽しみを持っていない人であることが多いようです。

 

「それ」以外の楽しみを見つけることが、依存から抜け出す第一歩ですね、

 

という話で終わりたいわけではなく。

(宇野は脳科学や心理学の専門家ではありませんので、気になった方は個人で調べてみて下さい。ギャンブルの裏側とかが分かって、案外面白いです。)

 

「占いに依存しない、占いの使い方とは?」ということを考えたかったのです。

 

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先ほど、「射幸心」が依存のカギだ、というようなことを書きました。

 

それはつまり、「対象者」は「依存対象」の中に、

 

「自分が射たい=ハントしたい『幸』がある」と思っている、ということだと思います。

 

占いに限って言うなら、「こういう結果が欲しい・こういう結果のはずだ」という

 

アタリが既に「対象者」の中で存在していて、その通りでないとき、

 

「こんなはずでは」というリアクションになってしまって、

 

俗に言うジプシーとなってしまうのではないでしょうか。

 

(「こう言ってくれるはず」というのは、具体的なことではなくとも、「占い師であるからには私の期待以上の答えを出してくれるはず」「なんでも言い当てられるはず」という、上限の無い期待も含みます。)

 

これって、大ざっぱに言ってしまうと、『答え合わせ』ではないでしょうか。

 

「私の思った通りだった!」「私の期待以上だった!」という。

 

でも、ちょっと待ってみて下さい。

 

一番最初、人類が占いを始めた瞬間、占いというものが生まれた瞬間は、

 

「ここから先何が起こるか、サッパリわからない。何でもいいから、とにかく手がかりが欲しい」という

 

至ってプレーンな感情から始まったのではなかったでしょうか。

 

そこには、希望はあっても、期待はありません。

 

大きな大きな、宇宙や運命に対峙するために、占いというツールを使って、

 

その大いなる流れに手を突っ込み、そこから(偶然/必然)掬い上げられたものを、

 

「これが、手掛かりか。よし、みんなで意味を考え、それに見合った対策を講じよう」

 

という工程を踏んでいたのではないでしょうか。

 

ここに、『答え合わせ』(=結果『幸』をハントするための)心積もりはありません。

 

占いは、このように、【手がかり・道しるべとして利用する】のが、

 

一番適切で、健全な使い方だと思います。

 

(もちろん、(冷やかしではなく)ゲーム的に、運試し的に利用するのもアリでしょう。)

 

良く言われている、占いは頼るものではなく利用するものである、というのは

 

こういったことかな、と、私は解釈しています。

 

 

長々と書きましたが、私は占いは深刻に思い詰めるものでも、

 

方法やそれに携わる人を神聖視しすぎるものでも、

 

こうでなけでばならない、と定義するものでもないと思っていますので、

 

至って気軽に、「ちょっと知りたいんだけど……」といらっしゃって下されば、

 

私はとても嬉しいです。