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天にあるものは地にもあるーー《時の魚》とセフィロトの樹。

 

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《時の魚》についてわからないことがたくさんある、と以前書きましたところ、

 

あるココナラユーザーさんが、DMを送ってくださいました。

 

色々と考察をして下さり、ああ、確かに、と思える発見もたくさんありました。

 

このサイトは、《時の魚》についての考察と理解を深め、広めるための場でもあるので、

 

得られた知識は、共有していきたいと思っています。

 

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魚、と言われて真っ先に出てくるシンボル。

 

このマークのことを、イクトゥスと言います。

 

元々は、キリスト教徒が迫害されていた時代に、お互いがキリスト教徒であることを

 

示すためのマークとして使われ始めたものだそうです。

 

今回の考察は、この魚のマークが葉っぱに似ているのでは?というところから始まりました。

 

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前提として、《時の魚》は“流れ行くもの”である、ということは分かっていました。

 

そして、おそらく高次の存在であることも。

 

そして、以前の記事で、「魚は水中を泳ぐもの」であるこの世界では、

 

《時の魚》が泳いでいる空中は水中である、というような主旨のことを述べました。

 

水は流れていきますし、流します。

 

水は隙間を埋めますし、波動を広げます。

 

そしてその中を泳ぐ《魚》も、また然り、と考えるのも自然ではないでしょうか。

 

(魚心あれば水心、という言葉もありますし)

 

時にヒーラーの方々のブログなどを拝見していると、高次の光やエネルギーを降ろして

 

対象者に送るときは、自分はただパイプとなるのだ

 

ということを仰っている方も多いように思います。

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ところで。

 

キリスト教創世記には、エデンの園に植えられた木で、「生命の樹」と呼ばれる

 

ものがあったと言われています。

 

(いわゆる善悪を知る樹、だと思います。)

 

カバラでは、その世界を創造する手段を図式化したものを、「セフィロトの樹」と

 

呼んでいます。

 

タロットに詳しい方なら、展開方法の一つとしてご存知かもしれません。

 

知恵の成り立ち、世界の成り立ち、人の人生を一つの樹に見立てて占う方法です。

 

物理的に、樹木は、地を豊かにし、生命体を育み、

 

一つの個としては、土の中の根から水分を吸い上げ、

 

緑に煌めく葉からは、光を浴び、それを養分に変えます。

 

木は、上と下を繋ぐもの、と言うこともできるのではないでしょうか。

 

さて。

 

聖書やカバラに限らず、天にあるものは地にもある、という考えは、

 

洋の東西を問わず、広く世界に広がっています。

 

占いで言うと、特に占星術がそうかもしれません。

 

今、空にはこういった星がこの配置である。

 

だから、地上にはその影響がこういった形で現れるだろう、という。

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天にもあるものは地にもある。

 

言い換えれば、地にあるものは天にもある、と言えるのではないでしょうか。

 

《魚》は葉の形に似ている。

 

もしかしたら、彼らは高次元からの『葉』なのではないでしょうか。

 

 人は高次元と繋がれるパイプにも成り得る。

 

それは、上と下を繋ぐ、樹木と良く似ているのではないでしょうか。

 

そして、地に私たちと言う樹があるということは、

 

天にも、より高次元の樹――便宜的に、セフィロトの樹と呼びます――が

 

あるのではないでしょうか。

 

《時の魚》は、自分と良く似た性質の人の近くに居る。

 

それは、同じ『樹』を持つ人間を、探してやってきているのかもしれません。

 

もしくは、風水で魚は気を表すものなので、

 

似たような気を持つ人の近くに集まる習性があるのかもしれません。

 

または、彼らと私たちを包み、繋いでいる『水』は波動を通すので、

 

自然と似た波動のものが引き寄せあっているのかもしれません。

 

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何故、『黒』サイドの《魚》が居るのか、ということも、これなら説明がつきます。

 

天にあるものは地にもある――そして、地下にもあるのでは、という仮説です。

 

ここでは便宜的にクリフォトの樹と呼びます。

 

要は、私たちの世界で言う『悪』の部分です。

 

人は聖人にもなれるし、悪人にもなれる。

 

高次の《時の魚》と、『黒』サイドの《時の魚》が居る。

 

水は生命を育むこともあれば、濁流となってすべてを壊すこともある。

 

魚は空を飛ぶ鳥と対比したシンボルとして、冥界の使いを表すこともある。

 

こんな面は、『地下』にクリフォトの樹が存在するからではないでしょうか。

 

世界にも、個人にも、霊界にも、太陽の灯が降り注がない、暗い場所があること。

 

それは、なんとなく受け入れやすいことではないでしょうか。

 

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人が樹だとする根拠は、もう一つあります。

 

私たちが紡ぐのが、『言の葉』だということです。

 

これは日本語の綾かもしれませんが、これも大切なことではないでしょうか。

 

ペンは剣より強し、という言葉もあります。

 

しなやかに、美しく、其れでいて強さのある葉を茂らせるために、

 

自分が良い樹でありたいと願うことは、きっと少しづつ世界を『セフィロトの樹』側に

 

向かわせてくれるのではないかと思います。

 

人はセフィロトとクリフォトの中間に立っている。

 

これは、常にどちらかに揺れ動く、というハードな状況でもありますが、

 

最も多様性がある、鮮やかで豊かな世界である、ということでもあると思います。

 

人は、天使にも悪魔にもなれますが、

 

天使は、悪魔にはなれません。(それでこそ天使なのですが。)

 

色々な存在や魂が、あちこちから地球へ(物質界へ)やってくるのは、

 

この多様な世界が、一番色々なものが見れて、学べるからなのではないでしょうか。

 

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色々と書きましたが、私は歴史や占いの専門家でも学者でもありません。

 

仮説と予想でいっぱいです。

 

今回は、全体的にキリスト教的な要素が強すぎた気がしますので、

 

もう少し、特定の宗教的な要素を抜いて、《時の魚》を説明できるようにしたいです。

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。