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信じることと疑うことについて――主観は疑えない。

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目に見えない世界は、最終的にも、根本的にも「信じる」ことが

 

重要になってくるのではないでしょうか。

 

例えば、「愛情」。

 

AさんがBくんに、恋愛対象として、パートナーとして、

 

「私は愛されているし、愛している」と信じること。

 

Bくんが「僕はAさんを愛している」と思っていたとして、

 

Aさんが「私はB君を愛しているのに、私は愛されていない」と思っていたら、

 

酷く悲しいすれ違いが生まれてしまいます。

 

もしかしたら、Bくんは「Aさんを愛している」と思いながら、

 

Aさん以外の誰かと関係を持っているのかもしれません。

 

もしくは、AさんとBくんの愛情表現の方法が異なっていて、

 

お互いにそれを認識していないため、すれ違いが生まれているのかもしれません。

 

Aさんは「誕生日には家でゆっくりふたりきりで過ごしたい」と思っていて、

Bくんは「誕生日はちょっと高級なレストランで過ごしたい」と思っている。

 

Aさんは「せめて一か月ごとの記念日は覚えていてほしい」と思っていて、

Bくんは「クリスマスや誕生日以外は記念日ではない」と思っている。

 

喧嘩をしたわけではない。

でも、「私は愛されていない」と感じることは、多いと思っています。

 

決定的な出来事が無くても、「あの人と私は友情が無い」と思うこともあります。

 

愛情、友情、勇気、……目に見えないものは、「信じる」しかありません。

 

……本当に?

 

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その人の主観は、誰にも疑えません。

 

例えば、「納豆はおいしい」と思っているCさんが居たとします。

 

Dさんは、Cさんとは大の仲良しですが、納豆は苦手です。

 

Dさんは「納豆は不味い」と思っています。

 

しかし、Cさんが「納豆はおいしい」と感じていることは否定できません。

 

「Cさんは『納豆はおいしい』と嘘をついている」と言うこともできません。

 

ただ、「私は『納豆は不味い』と思っているけれど、Cさんは『納豆はおいしい』と感じている」としか表現することはできないのです。

 

Cさんの味覚を疑うことは出来ません。

 

何故なら、Cさんがそう感じているからです。

 

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ですが、主観を疑うことが出来ないからと言って、それを悪用することはいけません。

 

法的にも、人倫的にも、霊的にも、褒められたことではないからです。

 

①「セクハラとして訴えられたが、“わたしは普通のスキンシップのつもりだった”」

 

②「俺はただ、からかって遊んでただけ。“悪意が無いのでいじめではない”」

 

③「“私だけ不当な扱いを受けた”。だから、この店の文句を大声で叫んでも良い」

 

能動側の強さを補強するため(①、②)に、主観が疑えないことを使ってはいけない。

 

受動者(被害者?)側の権利を増大させるため(③)に、主観が疑えないことを使ってはいけない。

 

感情があることは素晴らしいです。

 

しかし、それだけだと、問題を解決する時に

 

「私はEだと感じた」

「僕はFだと感じた」

   ↓

「あいつは何もわかってない/あいつは間違っている」

 

となってしまって、何も議論が進みません。

 

だから、理論だとか論理だとか、数学的なものが必要になってくるのです。

 

スピリチュアル的なものを否定する人の中には、

 

「あいつらは自分の主観が理論的・科学的・数学的に証明されないことを良いことに

 

好き勝手喋って、悩んでいる人から金を巻き上げているだけだ」と言う理由で

 

否定している人も居るのではないか、と思います。

 

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卜占をやっている側からすると、その主観と出会ったことにも一つの意味がある、

 

と思いますが、例えば、エネルギー的なものは、科学で証明されても良いのでは、と

 

現時点では思っています。

 

遠隔ヒーリングの前後で、体の中は物理的にどう変わっているのか?

 

パワーストーンは石ごとに特性があり、エネルギーが違うと言われているが、

 

それは数値としてどのようなものか?また、浄化前後で何が変わるか?

 

合気道の達人は、科学的に何だと説明されているものを放っているのか?

 

純粋に気になります。

 

数値的なもので証明できれば、ハッキリと感覚や視覚で感じられる人以外にも、

 

上記のようなものが真実として受け入れられ、使用用途が広がることになります。

 

でも、現時点では、科学の方が、スピリチュアル的なものを観測する手段を

 

持っていないのではないでしょうか。

 

電磁波の関係で、そこに霊が居るかどうか、ということを調べる方法もあるようですが、

 

今の限界はおそらくそこまでです。

 

ここから先、もっと化学が発展していけば、霊の存在だけでなく、

 

医薬品が体に合わない人に対するエネルギーワークの有用性、果ては神の存在まで、

 

もしかすると理解が深まるかもしれません。

 

(そのためには、化学が完成する前に、文学系の分野や、スピリチュアル系の分野と少しづつ融合していく必要があると思いますが……。)

 

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納豆が好きなCさんに対して言えるのは、「どうして納豆が好きなのか?」

 

納豆が嫌いなDさんに言えるのは、「どうして納豆が嫌いなのか?」

 

Bくんが好きなAさんに言えるのは、

 

「あなたの“愛している/愛されている”とはどういうことか?」

 

「どうして“愛されていない”と感じているのか?」

 

否定形ではなく、疑問形で。

 

まだ化学が追い付かない領域だからこそ、言葉で伝えあうしかない。

 

私は、そう思います。

 

あなたが、天使を信じるのはどうしてですか?

 

あなたが、故人と話すのは、どのようにしてですか?

 

あなたが、縁結びをするのに、危険性がないと言えるのはどうしてですか?

 

私たちはまだ、主観を確かめる言語をもっていません。

 

だからこそ、慎重に、誰かや何かを否定したり拒絶したりすることなく、

 

話し合いでグルグルの魔境に入り込んでしまわないように、

 

私たちは、知ろうとしていかなければならないのだと、思います。

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。