代わりを用意しておくべき?――長所と短所とあなたらしさ。

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これは私の非常に悪い癖の一つなのですが。

 

「ギリギリまでやらない」ことがよくあります。

 

夏休みの宿題に冷や汗をかいていたタイプです。

 

そして、先生となっている人は、たいてい、

 

スケジュールを立てるのが得意な人たちでした。

 

「○日に数学の宿題をすることにして、

もし終わらなかったら×日を予備日にすればいいよ」

 

と、彼らはよく言いました。

 

私は、予備日があることが事前にわかっていたら、

 

予備日があるんだし、と考えて切羽詰まらなくなってしまい、

 

最終的に同じことを繰り返します。

 

損な性格だと思いますが(アドラーさん的には『性格なんかない!』と言われそうですが)、

 

それも含めて宇野なのかな、と考え開き直っている部分もあります(*ノωノ)

 

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「あなたの短所を教えて下さい」

 

限定された場面でしか聞かない問いですが、

 

この問いを投げかけられた人は多いのではないでしょうか。

 

この質問をした人は、「あなたはその欠点をどうやって克服しようとしていますか?」

 

ということも聞きたがっています。

 

「克服できないから短所なんだろ!」とか

「いやいや、ここは大人の対応や対処能力を問われているのだ……」とか、

 

色々思う所はありますが、それはそれとして。

 

「どんな短所も見方を変えれば長所になる」という考え方があります。

 

私は、確かにそういう一面もあるかと思いますが、

 

どう贔屓目に見ても長所とは言えないような短所も、人は持っていると思います。

 

臆病、を、慎重、に。

おしゃべり、を、コミュニケーション能力、に。

腰が重い、を、自分の時間を大切にできる人、に。

 

できなくはないかもしれませんが、そもそも言葉が違う時点で別物では?という

 

感覚も持っています。

 

また、どれだけ第三者が「あなたのこの部分は長所だ!」と言っても、

 

本人が、「いいや、これは私の悪い部分で、誇れることなんかない」と

 

考えていたら、それはもう短所なんだと思います。

 

なぜなら、その人の主観はその人のものだからです。

 

(この種の根強い思考を“ブロック”として、日々解除のワークをされている方々もいらっしゃいます。)

 

そして、そのどうしようもない短所は、

 

だからこそ自分を自分たらしめているのではないか、と思うのです。

 

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今まで短所を持ってきた自分がこうして現在の場に立っていて、

 

それ以外の人生は経験のしようが無かったので、

 

短所は自分のアイデンティティであるとか、

 

短所は現在の自分にたどり着くまで自分を保護してきた盾のようなものだから

 

短所は重要なものであるとか、

 

そういうことを言いたいわけではありません。

 

(もちろん、そういった一面も事実として存在するとは思います。)

 

ただ、例えば。

 

短所を一瞬でポンと消してしまえる魔法や薬や心理学的治療法が発明されたとして、

 

その後のあなたは、本当にあなたなのか?と、思ってしまうのです。

 

優柔不断なところを、ポン。

 

怒りっぽいところを、ポン。

 

字が下手なところを、ポン。

 

音痴なところを、ポン。

 

良いでしょう。

全人類がその魔法を使い、どんどん「完璧」「理想」に近づいていきます。

 

誰もが映画スターのようなルックスと、聖人のような性格と、

 

聞き惚れるような声と、才能と、すべてを持っています。

 

でもたぶん、その魔法が使われなくなる日は来ないでしょう。

 

どれだけ消しても、「もっとこうなりたい」「あの子はこうなのに」

 

という思いが消えることは、まずそうそうありません。

 

(そのためのツールの一つに、瞑想などがあるとも思っています。)

 

また、どんどん地球上の人が似て来るでしょう。

 

全体は大きな1となり、それ以外は存在しなくなります。

 

そんな世界で、誰が他の人を理解できるのでしょうか。

 

1から外れた人の思いを、我がごとのように体験し、寄り添い、

 

支え合って生きていける人は、存在するのでしょうか。

 

そういう人になるのなら、良いんですが。

 

なんとなく、みんながみんなツンとした、

 

過去や汚点を知らぬ存ぜぬで通してしまうような、

 

そんな人になってしまうのではないかと、杞憂しています。

 

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そもそも、短所って何なんでしょうか。

 

長くなってしまいそうなので省きますが、本来、

 

短所と言うものは存在しないのだと思います。

 

人間の目から見ても、大いなる絶対者から見ても。

 

ただ、まだ、私たちはそう思えていない、と言うだけで。

 

本当は、ただ、存在しているだけなのだと思います。

 

長所も、短所も、その人の中の一部として、ただ、『ある』だけ。

 

私は、そう考えています。

 

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私は、「みなさん」と呼び掛けられることが苦手です。

 

「誰でも大歓迎です!みなさんを待っています!」と言われることが苦手です。

 

皆さん、ということは、“私”でなくても、数合わせの誰かが居ればいいのだと、

 

逆に、私が“誰か”の代わりに居ても、気にされないのだと、思ってしまうからです。

 

また「○○なみなさん」と呼ばれることも苦手です。

 

もし、私が「○○」でなくなったら、放り出されてしまうような気がして。

 

ただ、「あなた」に、ただ一人に呼び掛けているんだ、というメッセージを、

 

私はとても嬉しく思います。

 

私がどんなに欠けていようと、私が私である限り、

 

呼びかけた人は私を必要とし続けてくれるだろうから。

 

では、「私」とはどこまでが「私」か? とか、

 

必要とされるかどうか云々で判断するのは危険ではないか?とか、

 

「短所は無い」って言ったのに「欠けていようと」とか言ってるじゃん、とか

 

考えなければいけないことはたくさんあって、穴だらけです。

 

ただ、

 

「私はここに居る」

 

「そう、あなたはまさしくそこに居る」

 

という認識がありさえすれば、人の根本的な幸せは得られるのではないか、と

 

思っています。

 

 

ちょっと哲学的な話になりました。

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。