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学び?――間違えることと間違え続けること。

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 人は完璧ではありません。

 

完璧でないので、多くの間違いを犯します。

 

個人として見ても、人類としてみても、歴史として見ても。

 

間違えると、「間違えた」と気づくことが必要になります。

 

気が付かずに時間を過ごしてしまうと、なんともならないこともありますが、

 

多くの場合、後々再びやっかいな問題として浮かび上がってきます。

 

「間違えた」と気づくには、自分を見つめているカメラが必要になります。

 

過去のことを振り返り、立ち止まる必要があります。

 

「私は間違えた」と認める必要があります。

 

「次に間違えないためには、どうすればいいか」と考える必要があります。

 

そのために、情報を収集し、必要なものを参照する必要があります。

 

そして、それを実行します。

 

………。

 

尤もなことだと思うのですが、私たちは往々にして、それが出来ない場合があります。

 

 

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有名な思考実験で、「五億年ボタン」というものがあります。

 

内容は、何もない空間で5億年過ごすだけで100万円が貰えるというアルバイトを持ち掛けられる、というもの。

ボタンを押すと空間に飛ばされて、そこは餓死などの心配もなく、寝る事も出来ない。自分の身一つで5億年生きられる設計となっている。5億年経過すると、全ての記憶が消去され、元の場所へ戻る。

そして100万円を入手できる。

押した本人はボタン押して、ただ100万円出てきた様な錯覚に陥るが、実際は気が狂う程の5億年を過ごしている。

 

さて。

 

このボタン、押すのと押さないの、どっちが『正解』なんでしょう。

 

ちなみに、私は押さない派です。

 

何故って、純粋に無の5億年間が恐ろしいので。

 

でも、『正解』かどうかはわかりません。

 

押す派の人は、記憶は消えてしまって、実際には一瞬にしか感じられないのに、

 

そんな割のいいバイトを蹴るなんて、馬鹿な人だ、と思うかもしれません。

 

ここで、この思考実験の結論を出すつもりはありません。

 

押す人は、何回も何回も押して、何百万も手に入れるかもしれません。

 

(その裏で、忘れていた5億年間の無の苦痛を、何度も何度も体験し、自分を呪うかもしれません。)

 

押さない人は、一度も押さずに、何も手に入れないかもしれません。

 

(そして、今までと変わらない日常に、戻っていくのでしょう。)

 

何が正解で、何が間違いなのでしょうか。

 

それって、何を基準にしているのでしょうか。

 

それって、他人が決められるのでしょうか。

 

もしかして、自分で決めるしか、無いんじゃないでしょうか。

 

 

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こんな言葉があります。

 

『errare humanum est. sed nulliusnisi stulti in errore perseverare.』

(間違うのは人間的だ。間違え続けるのは悪魔的だ。)

 

ラテン語の諺ですが、この論で行くと、

 

私たちの多くは悪魔的ということになるような。

 

この諺は、「同じことで」間違え続けるのは悪魔的だ、と言っているのだと思いますが

 

私たちは同じことで何度も間違えます。

 

法的に間違えている人は、少ないかもしれませんが、

 

倫理的には、霊的には、カルマ的には、宇宙的には、どうでしょう。

 

多くの人が転生を繰り返していることを考えると、「私は失敗から学んでいる」と

 

きっぱり言い切れることは、少ないのかもしれません。

 

スピリチュアルの世界では、失敗や間違いや試練を、「学び」と言うことがあります。

 

これは知らなければならなかったことなのだ、と。

 

そして、私たちは転生した先で、また忘れ、また知るのです。

 

大いなる魂の目的のため。

 

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ちょっと厭世的なお話になりすぎましたね。

 

こういうことを考え、もしかしたら間違っているかもしれない、と

 

一人戦慄するのです。

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。